1日目:夜の帰宅

白い少女

 一成の手伝いorバイトからの家路、時刻は七時半頃。下校時刻が早まる原因となった深山町の強盗殺人事件(翌日一成との会話に上ります)を思い返しつつ歩んで坂の上のイリヤと初邂逅。「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」と、ちっちゃいお姉ちゃんの忠告を受けつつ帰宅です。

 家の明かりが点いているのを見ると、桜と藤ねえはもう帰ってきているようだ。

Fate stay/night 共通ルート1/31

 という一文が何だか嬉しい。
 Fateルート四日目に、士郎の以下のような発言があります。

 ついいつもの調子で考えてたけど、遠坂がうちで暮らすなら家族と同じだ。

Fate stay/night Fateルート4日目

 士郎にとって「家」というのはこういうものだ、と伝わる一言。凛の思う「家」と対比しても面白いところです。
 息をするのも苦しいような人間だ、「オズの魔法使い」の登場人物、ヒトに憧れるブリキの木こりのような人間だ、と作者をして言わしめる衛宮士郎ですが、そんな彼にとって衛宮の屋敷が「ブリキのロボットを仕舞う箱」ではなかった。「『うち』で暮らすなら家族と同じ」と当り前に言わしめるものが、士郎にとっての「家」だった。それは例えば、こうして家に明かりを灯しておいてくれる人のお陰だったんだろう、と思うと桜と藤ねえに頭が下がる次第です。

 さて、朝食に引き続き美味しそうな晩御飯。メニューはチキンのクリーム煮。桜の料理の腕前は、この一年で洋食では士郎を完全に上回ったけれど、和食では未だ士郎に分があるそうな。
「文句なし。ホワイトソースも絶妙だ。もう洋物じゃ桜には敵わないな」と、素直に認める言動がこうしてみるとなんとも彼らしい。この後、三日目、ランサーを退けて凛と合流した後の凛との会話もこんな感じ。

「あ、そういう事。じゃあセイバーを呼び出すまで、一人でアイツとやり合ってたの?」
「やりあってなんかない。ただ一方的にやられただけだ」
「ふうん、ヘンな見栄はらないんだ。……そっかそっか、ホント見た目通りなんだ、衛宮くんって」

Fate stay/night Fateルート3日目

 この通り、事実の認識が端的な人なんですよね。この後徐々に描かれて行きますが、士郎は意志は強いが我欲が薄い、というか、利他精神を我欲と互換しちゃった人なので「欲」はあるけど「利己」とは遠い。「自分を大きく見せたい」みたいな「見栄」とは縁薄い人柄です。
 そんな「現状認識が端的で」「見栄とは縁薄い」人間が、はて、じゃぁ何でこの後なんでセイバー相手にああいう言動に到るのか。……というのがセイバールートことFateルートのキーでしょうか。この後も端々の描写で自然に「セイバーは戦うな」という言動が士郎にとって如何にイレギュラーであることを伝えていく手管に一々感心しながら読んでいたのが初読の記憶です。

 さて、話を戻しまして、世間が物騒なのに人助けで帰宅の遅くなる士郎に藤ねえがお冠。

「ううん、それぐらいしないと士郎はダメなのよ。いつも人の手伝いばっかりして損してるからさ。たまにはまっすぐ帰ってきてのんびりしててもいいじゃない、ばかちん」
「むっ。バカチンとはなんだよバカチンとは。いいじゃないか、誰かの手伝いをして、それでその人が助かるなら損なんかしてないぞ」

Fate stay/night 共通ルート1/31

 前シーンから引き続き、ここでも、助力の対価は「助力したこと自体」。一見良いことを言ってるようでいや事実良いことではあるのですが、よくよく見ると収支が破綻しています。

 正義の味方になる、つまり正義に味方したい人なのにも関わらず、正義のなんたるかを語らないとよく言われる士郎ですが、じゃぁ作中彼が語るものは何なのか、と読み返してみるとそれは「理想」です。
「実現不可能である」という事実は、「そうあればどんなに良いか」という理想の美しさを損なわないし、届かないことは目指さない理由にならない、というのがUBW。
「正義の味方」の第一イメージは「悪を倒す」ものなんですが、作中士郎が語る(士郎が思う)正義の味方は「諸人幸いであれば、それはどんなに」という理想を為そうとする人。この辺りのイメージギャップが彼をややこしくしているように思います。正義に味方をしたくとも、正義で悪を殴りたい願望があるわけではない士郎は、あれで、正義を「押しつけにいく」動機は持っていない。

 ただ、セイバールートは、「彼自身の機能破綻により自覚できない、地獄に落ちても忘れない深度の一目惚れ」と「一番優先度の低い自分を庇って優先度最高ランクの他人がモツぶちまけた衝撃」の合わせ技でバグった士郎による、「戦わないでくれ」という押しつけがある。しかもルート構成上、プレイヤーにとってこれが士郎のファーストインプレッションになってしまう。これで「「正義の味方というくらいだから正義を押しつけるに違いない」という思い込みが加速させられるところに、彼の読みづらさがあるのではないかと一考。

 長々語って参りましたが、それを踏まえると以下の藤ねえの一言は、そんな士郎を表すのに非常に端的だったんだろうなぁと。

「うん、昔からそうなの。なんか困ってる人がいたら自分から手を出しちゃうタイプ。けどお節介ってわけじゃなくて、士郎はね、単におませさんなのだ」

Fate stay/night 共通ルート1/31

 これは、以下のコンプティークの一問一答における作者の回答に通じるところかと思います。

Q.士郎は正義の味方を目指して、日々頑張っていると思います。そんな士郎は、道路で猫や犬が轢かれてたりして死んでいたら埋めて供養してあげたりするんですか? 他にも士郎の善行がどの域まで達しているのか非常に知りたいです。
A.イエス。彼は目に見える範囲での不幸な出来事や不平等な出来事を正そうと努力します。ただ、困っているから、弱いから無条件で助けるのではなく、一応、本人にとってそれを打倒する事に意義があるのでは、と判断した場合は影ながら見守るようです。

コンプティーク2006/6 一問一答

 藤ねえによる子供の頃の作文暴露「ボクの夢は正義の味方になる事です」。余計なことを言うなとむくれる士郎ですが、普通はこの手のシーンは「いつの話をしてるんだよ恥ずかしい」と照れて怒るところ。しかし本作主人公は、その夢自体は今でも全く否定しておらず、そのいきなり常道を外れた違和感が面白い手触りだったと記憶しています。

「正義の味方になるって事は今でも破っちゃいけない目標だ」の破っちゃ『いけない』のくだりが、周回して読むと大変不穏。