日常(I)
文化部の予算繰りに悩む一成に協力し、備品の修繕に向かいます。
「格別、物に愛着を持つ性格ではない」という自己認識の持ち主が、修繕対象について「とりあえず今年いっぱいは頑張ってくれる」なんて言い方をするところが、個人的には面白く感じる所です。
ここでは士郎の魔術の一端が紹介されます。「触覚で」「視る」と内部構造の完全なCAD図が脳裏に描かれる。いや「触覚で視ている」という以上、あの図は便宜的な表現なんでしょうが。
「この天然CADマシーン、金型作らせたらボロ儲けできそうな……」などとうっかり考えたことがあるのはさておいて、ここは「魔術師一般にとっての構造把握」がどんなものなのか解説されているのも興味深いところです。
親父曰く、物の構造を視覚で捉えている時点で無駄が多い。
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本来の魔術師なら、先ほどのようにわざわざ隅々まで構造を把握する、なんていう必要はない。
物事の核である中心を即座に読みとり、誰よりも速く変化させるのが魔術師たちの戦いだと言う。
一般の魔術でいう「構造把握」とは、制圧のための要所を最短最速で探り当てることを指すようです。それ以外の情報は、解へ回り道でありノイズ、ということになるのでしょうか。
逆に、士郎の魔術には、一般魔術にとってのノイズにあたるものが全て必要、どころか、「構造を全て読む」なんてのは序の口も序の口。材料はたまた制作理念、8節全てを再現するのが士郎の魔術です。言葉面は同じ「構造把握」でも、目指すところは逆なんだな、ということが分かります。
それはともかく、ここで魔術を用いて士郎がやっているのは「復元」ではなくあくまで「修理」。折れた所に添え木を添えて「ほい、まっとうするまでもう一寸頑張って来い」と背を押して送り出すような行いなところが、何とも言えずこの人らしい。
さて、修理を終えて教室を出ると、廊下で一成と向き合う凛と遭遇。プロローグのシーンの士郎視点、ということになります。「天寿、全うしてたら直せないだろ」辺りのとぼけた話しぶりが良い味です。
一成に促されて視聴覚室に向かう。
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ただ、顔を合わせたのにまるっきり無視する、というのは失礼だ。
ぼう、と立ったままの遠坂に振り返る。
「朝早いんだな、遠坂」
素直な感想を口にして、一成の後に付いていった。
ここで、「今の、挨拶のつもりだったのかな」とプロローグで凛を当惑させた「朝早いんだな、遠坂」の意図が判明しました。ただの感想です。というか、本人は ただの感想だと思っています。UBWアニメ化時の奈須先生の注釈曰く、当人は青少年パワーを発揮してこの一言を絞り出してるらしいんですが、士郎の側にその意識がなければ文中に現れないのがこの小説の面白さであり厄介さ。一成を前にしたことで不機嫌バージョンになっていた凛の立ち絵が、この一瞬ちゃんと当惑バージョンになるのが芸が細かいです。
時間ギリギリに修理を終えて、大急ぎで教室へ。ここで慎二に絡まれます。
遣り取りを全部コピーするのは引用の分を越えるので控えますが、こうして読み返すとなかなかここは慎二の空回りがいきなりフルスロットルです。慎二の嫌みは全部、士郎の感情を一切波立たせることがありません。他意のない感想(ここもか……)と善意の申し出&忠告で構成された士郎の返答が、悉く慎二にぶっ刺さり、慎二は苛立って自席に戻る。で、士郎の所感は一言。
……はて。今日はとくにカリカリしてたな、あいつ。
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……本当に、「悪意につけ善意につけ」自分に向けられた感情受信しないよこの人……。
で、その一部始終を心配して見守っていた一成が話かけてきます。そして士郎は案の定というか、何故心配されたのか分かっていない。
「? なんで気を利かすのさ。俺、一成に心配されるような事してないぞ」
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「たわけ、心配もするわ。衛宮はカッとなりやすいからな。慎二に殴りかかれば皆は喝采を送るが、女どもからは非難の嵐だ。友人をそんな微妙な立場に置くのはよろしくない」
「そっか。うん、言われてみればそうだ。ありがとう一成。そんなコトにはならないだろうけど、今の心配はありがたい」
「うむ、分かればよろしい。……だが意外だったぞ。衛宮は怒りやすいクセに、間桐には寛大なんだな」
「ああ、アレは慎二の味だからな。つきあいが長いと馴れてくる」
事情を説明されて理解すれば、その心配の「実効性」ではなく、「向けられた心」に礼を述べるのがこの人らしい。事情を説明されないと分からないのもこの人らしい。頭を抱えるところです。
「衛宮はカッとなりやすい」という一成の指摘は面白いところ。上述の慎二相手の摩擦係数ゼロな受け流しっぷりを思うと意外な気もしますがさもありなん。この人が受け流すのは「自分に対する」悪意だけです。世の不条理や他人の不幸については「我慢できない」(Hollow Ataraxiaより)人なので、鉄火な性質だというのも全く間違っていない。
人間、理性があれば怒りを表明する前には自分の損得を振り返ったりするものですが、この人の場合理性があっても「自分を省みない」から損得のブレーキがかからない。だから慎二みたいな人物の我儘には(火の粉を他人に掛けない限り)異様に寛容なのに、鉄火という評も全くもって正しい、ということになる。
もっとも、慎二に関しては、士郎の側は未だに友人だと思ってる、というのもあるのかもしれませんが。いや、それは士郎の側だけの話じゃないんだった。後々出てくる慎二の「手を組まないか」という誘いも、あれで慎二は本気だったなんて話もあるわけで、いや、ややこしいなこの人達……!
さて、虎劇場ことHRと授業を経て放課後。
一成の手伝いORバイト先コペンハーゲンの手伝いで分岐です。