1/31(運命の日2日前)

遠坂父の出立シーン回想(凛の夢)

 かの有名な、「士郎(アーチャー)視点のセイバー邂逅回想」から「凛の回想」にシーンを切り替えてお話が始まります。その始まりの一行が、「それは、今から十年前の話」。
「十年前」が士郎と凛のどちらにとってもキーワードであるため、一瞬「あれ?」と思わされるという仕掛け。こういうのは大好きです。

 背が高くて、彫りの深い顔立ちで、わたしが知るかぎり一度も冗談なんて口にしなかった人が、わたしの頭を撫でている。 いや、ちょっと違うか。 力加減が分からないのか、撫でているというより頭を鷲掴みにしてグリグリとまわしている、という表現の方が正しい。

 いつかこの人の仏頂面を崩してやろうと、一人で何度も何度も笑い話を練習していた。
 それが結局、一度も披露できなかったのが、悲しいと言えば悲しかった。

Fate stay/night プロローグ1/31

 Zeroが発表されるまで、時臣さんには無骨なイメージが持たれることが多かったように思うのですが、この辺が理由ではないかと。冗談を生涯口にしない偏屈者、子供の頭を撫でようとすれば頭蓋鷲掴みになる仏頂面。
 個人的にこの無骨さは、きのこ節全開の設定をもつ遠坂初代・永人さんを彷彿とさせるものがあって非常に好ましい。仏頂面デフォルトの無骨偏屈魔術師時臣さん、Zeroにも登場してほしかったのは山々ですが、Zeroでは時臣さんをギルガメッシュのマスターに据える案を採択してるのでやっぱり難しそうです。
 遠坂当主は聖杯取る気満々です。かつ、高位の魔術師です。これがギルをまともに出撃させちゃったらZeroは一夜で終わります。ならばギルのマスターである時臣は「聖杯取る気満々でかつ最高の手駒を手に入れているにも関わらず、用心深すぎてアナグマを決め込む」為人になるしかない。うーん、ギルのマスターを第三者にして、ギルの登場はラストだけ、だったらまた違う目もありましたかね。セイバーはsnでギルの正体に全く気づいてないので、この線で想像していた人も結構多かったのでは。

起床&通学

 魔術関係の蘊蓄の多い導入ターン。この手の設定開示は、作り込みに期待が高まるか、ゴテゴテと言を重ねられれば重ねられるほど設定のハリボテ感が増して閉口するか、個人的にはどちらかしかないんですが、Fateの場合は前者でした。
 きのこワールドから受ける独特の「ハリボテでない感じ」を言葉にしようと発売以来ずっと挑戦しているわけですがなかなかままなりません。一つには、テーマと設定とキャラクターが全て連環した織物になっていて、糸を一本引っ張っても解けようがないところなのかなぁと思うのですが。
 何というか、設定は「量が多ければ」いいんじゃないんだなぁと。思いつきを出鱈目に接ぎ木していったら歪になるだけで(そして多くの「中二」はそこ止まりで)、そうじゃなくて、設定群が美しい曼荼羅を描いている。あるいは、未だ欠けているアートグラフが、美しい完成図を予感させる。そういうのを作り込みっていうんじゃないか……と書きつつ、CCCにおける某台詞を思い出して床を打つ簡単なお仕事。EXTRAから出張した彼は、あの台詞で400%くらい株を上げたと思う。

 父さん、あのペンダントを地下室から出したら時計が狂うように仕向けてたんだろうか。

Fate stay/night プロローグ1/31

 家中の時計が狂っていたのは時臣さんのお茶目とのことでした。恐らく彼の想定では、「第五次は50年後に発生。それまでに、どこかのタイミングで一人前になった凛が宝石の封を解き、父のお茶目にびっくりする」だったんではないかと。ところが第五次発生は早すぎ、一人娘は優秀すぎた(ので予想外のタイミングで封が解かれてしまった)。
 ……ところで、「冗談を口にしたことがない」人的に、この傍迷惑な悪戯が彼の生涯一度の渾身のお茶目だったんじゃないかと思うと思わず天を仰ぎますし、その結果を思うと顔を覆います。
 正常周期だと凛は57かー。高位魔術師ってアンチエイジング当り前だから(例:空の境界のアルバさん)未だ現役な気もするなぁ。

 冒頭の凛と美綴さんの会話は、聖杯戦争の話かと思わせるミスリード全開。また、凛の「弓道部の知り合い」が士郎にミスリードできると細かい仕掛け満載です。こういうのが随所に丁寧に組み込んであるところが、作品の印象を精緻にしていると思っています。
 「ここまでやる作者なら、穿ったメタ視点とか持ち込まないで、信じて作者の意図に乗っかった方がきっと凄い体験ができるぞ」っていう作品に対する信頼感が早々に生まれたのは、自分の中では重要でした。

 基本的に士郎視点で進む本作、プロローグは他者視点の士郎を見られる貴重なシーンです。しかも、しかもその後、士郎視点の同シーンと見比べられます。後に士郎本人なりにはどぎまぎしていたことが発覚する朝の挨拶「朝、早いんだな」。こうして見ると士郎は割と不思議なマイペース人間である。

アーチャー召喚

 魔術の行使とは、人としての感覚を体から押し出して、自身を魔術を成すための部品に切り替えることであり、血管に血の代わりに焼けた鉛を流すようなもの。……というのが一番しっかり書いてある箇所。この点に関しては別に、士郎の自殺未遂もどき鍛練が特殊なわけではなく、魔術普遍の特性です。

 ……左腕に蠢く痛み。
 魔術刻印は術者であるわたしを補助する為、独自に詠唱を始め、余計、わたしの神経を侵していく。
 取り入れたマナは血液に。それが熱く焼けた鉛なら、作動し出した魔術刻印は茨の神経だ。
 ガリガリと、牙持つ百足のようにわたしの体内を這いまわる

Fate stay/night プロローグ1/31

 魔術の巧者たる凛をしてこうなのだ、というのが大事。二次創作だと忘れられがちなところな気もしますが、個人的にはこの辺り大事にされていると原作の厚みに通じるものを感じてぐっときます。

 サーヴァントの召喚呪文は、王冠だの王国にいたる三叉路だの、「あーセフィロトの樹の高次から現実世界?への流れよなー」とうろ覚えの知識を思い出す内容。高次元にいる(位階の違う)サーヴァントを降ろしてくる作法として感覚的に納得がいきます。たしかきっちり解析してた人もいたはず。

 ところで、この時点で既に一流の魔術師である凛が、集中完璧&財産半分切り崩す量の宝石を使って書いたこれまた完璧な陣をもって召喚に臨んだにも関わらず、「時計のずれでベストコンディションの時間じゃなかった」という要因のみによって、赤いフリーフォールが勃発します(弓兵の召喚に関していうなら媒体も完璧だった)。
 ……幾ら聖杯が凄腕の仲人だと言っても士郎の「詠唱とかしてません。というか喚ぶ気すらありませんでした。まず聖杯戦争ってなんですか」な召喚は返す返すもとんでもないわけで、そりゃパスもまともに繋がらんだろうと。むしろそのくらいの影響で済んで良かったなと。Zero設定を採用するなら、土蔵の陣は召喚陣ですらないという。

 ここの赤主従のエピソードは、凛の破天荒な性質と優秀さを瞭然にし、弓兵の皮肉屋な所から可愛げのある所までを奇麗にまとめあげた小気味よいイベント。……この出来がよすぎて、肝心の本編が始まった時に「赤主従はどこだ!?」となった人が割といた、なんていう困った話もありますが、ともあれ実に期待を持たせる書き出しではないかと。
 しかし、プロローグで見る凛視点の弓が「拗ね顔を披露する可愛げのあるキャラクター」なのに対して、士郎視点の弓が「ひたすら厳格な皮肉屋で反発を覚えずには居られない、しかし理想の体現」だというのは面白い話。弓の過去の己相手の気合いが凄いのか、士郎が未来の自分に夢を見過ぎなのか。
 ちなみに「過去の己相手の抉れと気合い」が微塵も無い弓兵がどんなキャラクターになるかっていうと、まぁ、FGO&CCCですね…………。

 ところで、10年かけてすっかりハイパーバトラーキャラが定着してしまった弓兵さん。一応このシーンでは、掃除の命令を申しつけられて全力断ろうとしていたのでした。名台詞「了解した。地獄に落ちろマスター」はここで出ます。